とくやま整骨院

2013年1月13日 日曜日

努力


涙の数だけ大きくなれる   木下晴弘著
「当たり前のことを当たり前と思えないくらいやる」

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努力とはなんでしょうか?


私は努力の定義という話を生徒によくしていました。


「よく先生やお父さん、お母さんが努力っていうよな」


「勉強しろ、勉強しろとうるさく言う」


「では聞くけど、努力って何だい?」


「もしかすると先生の考える定義と君たちが考える定義と違うかも知れないぞ」


すると「とにかくがむしゃらにがんばること」


といった答えが生徒から帰ってきました。


しかし、私はそれに対してこう返します。


「それでも確かに努力だろう」


「でも先生の努力は少し違う」


「先生が言う努力とは、人間としてこれくらいやって当然だという、当たり前のことってあるよな」


「君たちの勉強ということで考えた場合、たとえば毎日、計算を練習したり、あるいは英単語を5つ覚えたり、漢字を練習したり」


「これって、日々の基礎学力をつけるという目的からすれば、ちゃんとやって当たり前のことだろう」


「こうしたやって当たり前のことを、当たり前と思えないほどの情熱を傾けて行う、それを努力というんだよ」


これが私の努力の定義です。


「こういう、やって当たり前のことを当たり前と思えないほどの情熱で行うと何が起こるか分かるか」


「同じような情熱を持った人が、君たちに気づいてくれるんだ」


「たとえば、君たちが人に挨拶をするときに、これ以上ないくらい情熱を傾けて挨拶をすれば、すごい挨拶だと感心してひと声かけてくれる人が必ず出てくるんだ」


「そして、そういうやって当たり前のことを当たり前と思えないほどの情熱でやる人たちには、そういう人たちのサークルがあって、つながりあってステージとして用意されている」


「当然、そういう人たちの人生は情熱的な人生であり、それに触れた君たちも情熱的に生きることになる」


「それがこの世の現象としてはっきり起こることなんだ」


当たり前のことをやり続ける。


そうした努力が、いつか大きな花を咲かせる。


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みなさんの努力の定義は何ですか?

当たり前のことを情熱をもってやり続ける・・・

それが大きく花ひらくんですね!



投稿者 笑顔道整骨院

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