ごしょづか整骨院
2013年7月14日 日曜日
東洋医学 ~序章~
こんばんは、長岐です!!
小野さんから「投稿数を増やしたいので、何でもいいから書いてください」と言われましたので、2回目の更新しております。
さてさて、東洋医学について・・・です。
学校の授業で習ったものと、自分なりの考え方みたいなものを織り交ぜて書いてみよ~かな、と思っています。
しばしお付き合いくださいませ☆
東洋医学・・・わけのわからない学問ですよね。
患者様「最近耳が遠くなりまして・・・」
施術者「腎虚・・・かもしれませんね。」
患者様「私は腎臓は悪くないですよ?」
施術者「いえいえ、腎臓の病気じゃありません。腎の気が不足してるかもしれないですね、ということです」
患者様「はぁ・・・?」
施術者「腎の気というのは、先天の気のを司るところで、両親から頂いた生まれ持った力のことを言うんです。」
患者様「先生、私は腎臓が悪いんですか?」
施術者「違いますよ。腎虚・・・簡単に言うと、老化現象で耳が遠くなったのでは? と言っているんです」
患者様「腎臓は関係ないんですね?」
施術者「関係ありません。」
患者様「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ハイ、会話が噛み合っていませんね?
そもそも西洋医学と東洋医学は、単語が違います。しかし微妙に似ている言葉が存在しているので、混乱を招いているのです。
日本での西洋医学の始まりは、杉田玄白の「解体新書(ターヘルアナトミア)」から出発していますが、それまで日本の医学の主流は蘭学で、杉田玄白も蘭学者でした。
「ターヘルアナトミア」は元々ドイツ人の医師ヨーハン・アーダム・クルムスによって書かれたもので、日本に入ってきた「ターヘルアナトミア」は元々ドイツ語だったものがオランダ語訳され、それを更に杉田玄白と前野良沢達が日本語訳にしたものが「解体新書」となり広まりました。
翻訳はとても大変です。元々言葉が違うものを訳すわけですから、微妙なニュアンスの違いとか色々あり、現在でも翻訳するのに翻訳家の方々が苦労されているわけですが、なんせ当時は明治の初期杉田玄白や前野良沢、中川淳庵らはオランダ語も話せないのに、辞書を片手に必死に訳したわけです。努力した天才以上にすごい者はないというのは私の持論ですが、その天才達が終結して訳したんだから、それはそれは素晴らしい物が出来上がりました。どれだけ素晴らしい物ができあがったのかは現在の西洋医学を見れば、語る必要もないと思います。
蘭学者だった杉田玄白が何故「ターヘルアナトミア」を翻訳しようと思ったのか?
「ターヘルアナトミア」は克明なデッサンで、人体解剖図が描かれていたそうです。杉田玄白らはまず、その克明な解剖図にビックリしました。そして、「ターヘルアナトミア」を手に入れた同年、小塚原刑場で受刑者を使った腑分け(解剖)をし、そのデッサンが正しいものであったことを確認します。
一方蘭学における解剖図は、とても稚拙なものでした。
この落差が杉田玄白らが西洋医学に啓蒙した一端だったようです。
しかし杉田玄白らは、何故蘭学では解剖図が稚拙だったのか・・・そこまでの理由は知りませんでした。
そもそも日本の医学の元は「皇帝黄経」という古典です。中国最古の医学書で「前漢」(紀元前206年~)の時代に編纂されました。この時代の漢は解剖というものを一切許しませんでした。ですので当時の医師達は、外側の反応点から体の中にどんな臓器があるのかを想像し、治療に結び付けていきました。これは気の遠くなるような作業です。何十年も何百年もかけ、反応点と治療効果のみを基準のに体の中を想像し、理論を組み立てていく・・・。これが東洋医学の土台になっているわけです。
杉田玄白らはそのことを知らずに賢明に日本語訳を作っていきます。東洋医学における「腎の臓」と働きが一部似ている臓器に「腎臓」と名づけました。あるいは「大腸」と同じ名前をつけたものもあります。「神経」のように作った言葉もあります(「神経」は杉田玄白が作った言葉だったんです!!)。
ただ・・・この「知らなかった」ことが災いになり、時代の流れもあって、東洋医学は現在に至るまで誤解され続ける要因にもなったわけですね。
冒頭の患者様と施術者の会話に出てくる腎の臓。
後日きちんと説明しますが、「腎の臓の生理機能」の中に「先天の元気を司る。」とあります。これは生まれ持った気のことで、先天の元気が衰える=老化、ということになります。年を取ると血圧が高くなる、腰が痛くなる、耳が遠くなる、性欲がなくなる等々ありますが、こういった症状を一まとめにすると「腎虚」となるわけです。ところがそれだけではなく、生まれ持った気の中には生殖も入ります。ですので不妊治療なんかでも「腎虚」と判断されることが多いのです。
こんな感じで、色々な理由付けがあって東洋医学がなりたっていますが、東洋医学の理論を知らず「腎虚」という答えだけ見ると「怪しい学問だな・・・」といぶかしんでしまうわけです。
言葉が似ているから、誤解を招いているのですが、西洋医学と東洋医学はデーターベースが違うのです。キーボードを打ち間違えたら答えが出てこないか、あるいは間違った答えを弾き出してしまう。でもキーボードを打つ前に、言葉がわからなければ打つこともできない・・・それと同じことです。
しかしデーターベースが違えども、それを使うのは人間です。人間である限り二つの違ったデーターベースから、融合できる部分があるのを見つけることができるはず。融合する部分が見つかれば、より良い治療が提供できるはずそんな可能性を信じて入社した長岐です。
こんな感じで、東洋医学について語っていけたらな・・・と思っています。
話は違いますが、ごしょづか整骨院では「交通事故」でのお怪我の治療もお手伝いさせていただいてます。お気軽にご相談ください!!
ここまで読んでくださった方がいらしたら、ありがとうございます
小野さんから「投稿数を増やしたいので、何でもいいから書いてください」と言われましたので、2回目の更新しております。
さてさて、東洋医学について・・・です。
学校の授業で習ったものと、自分なりの考え方みたいなものを織り交ぜて書いてみよ~かな、と思っています。
しばしお付き合いくださいませ☆
東洋医学・・・わけのわからない学問ですよね。
患者様「最近耳が遠くなりまして・・・」
施術者「腎虚・・・かもしれませんね。」
患者様「私は腎臓は悪くないですよ?」
施術者「いえいえ、腎臓の病気じゃありません。腎の気が不足してるかもしれないですね、ということです」
患者様「はぁ・・・?」
施術者「腎の気というのは、先天の気のを司るところで、両親から頂いた生まれ持った力のことを言うんです。」
患者様「先生、私は腎臓が悪いんですか?」
施術者「違いますよ。腎虚・・・簡単に言うと、老化現象で耳が遠くなったのでは? と言っているんです」
患者様「腎臓は関係ないんですね?」
施術者「関係ありません。」
患者様「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ハイ、会話が噛み合っていませんね?
そもそも西洋医学と東洋医学は、単語が違います。しかし微妙に似ている言葉が存在しているので、混乱を招いているのです。
日本での西洋医学の始まりは、杉田玄白の「解体新書(ターヘルアナトミア)」から出発していますが、それまで日本の医学の主流は蘭学で、杉田玄白も蘭学者でした。
「ターヘルアナトミア」は元々ドイツ人の医師ヨーハン・アーダム・クルムスによって書かれたもので、日本に入ってきた「ターヘルアナトミア」は元々ドイツ語だったものがオランダ語訳され、それを更に杉田玄白と前野良沢達が日本語訳にしたものが「解体新書」となり広まりました。
翻訳はとても大変です。元々言葉が違うものを訳すわけですから、微妙なニュアンスの違いとか色々あり、現在でも翻訳するのに翻訳家の方々が苦労されているわけですが、なんせ当時は明治の初期杉田玄白や前野良沢、中川淳庵らはオランダ語も話せないのに、辞書を片手に必死に訳したわけです。努力した天才以上にすごい者はないというのは私の持論ですが、その天才達が終結して訳したんだから、それはそれは素晴らしい物が出来上がりました。どれだけ素晴らしい物ができあがったのかは現在の西洋医学を見れば、語る必要もないと思います。
蘭学者だった杉田玄白が何故「ターヘルアナトミア」を翻訳しようと思ったのか?
「ターヘルアナトミア」は克明なデッサンで、人体解剖図が描かれていたそうです。杉田玄白らはまず、その克明な解剖図にビックリしました。そして、「ターヘルアナトミア」を手に入れた同年、小塚原刑場で受刑者を使った腑分け(解剖)をし、そのデッサンが正しいものであったことを確認します。
一方蘭学における解剖図は、とても稚拙なものでした。
この落差が杉田玄白らが西洋医学に啓蒙した一端だったようです。
しかし杉田玄白らは、何故蘭学では解剖図が稚拙だったのか・・・そこまでの理由は知りませんでした。
そもそも日本の医学の元は「皇帝黄経」という古典です。中国最古の医学書で「前漢」(紀元前206年~)の時代に編纂されました。この時代の漢は解剖というものを一切許しませんでした。ですので当時の医師達は、外側の反応点から体の中にどんな臓器があるのかを想像し、治療に結び付けていきました。これは気の遠くなるような作業です。何十年も何百年もかけ、反応点と治療効果のみを基準のに体の中を想像し、理論を組み立てていく・・・。これが東洋医学の土台になっているわけです。
杉田玄白らはそのことを知らずに賢明に日本語訳を作っていきます。東洋医学における「腎の臓」と働きが一部似ている臓器に「腎臓」と名づけました。あるいは「大腸」と同じ名前をつけたものもあります。「神経」のように作った言葉もあります(「神経」は杉田玄白が作った言葉だったんです!!)。
ただ・・・この「知らなかった」ことが災いになり、時代の流れもあって、東洋医学は現在に至るまで誤解され続ける要因にもなったわけですね。
冒頭の患者様と施術者の会話に出てくる腎の臓。
後日きちんと説明しますが、「腎の臓の生理機能」の中に「先天の元気を司る。」とあります。これは生まれ持った気のことで、先天の元気が衰える=老化、ということになります。年を取ると血圧が高くなる、腰が痛くなる、耳が遠くなる、性欲がなくなる等々ありますが、こういった症状を一まとめにすると「腎虚」となるわけです。ところがそれだけではなく、生まれ持った気の中には生殖も入ります。ですので不妊治療なんかでも「腎虚」と判断されることが多いのです。
こんな感じで、色々な理由付けがあって東洋医学がなりたっていますが、東洋医学の理論を知らず「腎虚」という答えだけ見ると「怪しい学問だな・・・」といぶかしんでしまうわけです。
言葉が似ているから、誤解を招いているのですが、西洋医学と東洋医学はデーターベースが違うのです。キーボードを打ち間違えたら答えが出てこないか、あるいは間違った答えを弾き出してしまう。でもキーボードを打つ前に、言葉がわからなければ打つこともできない・・・それと同じことです。
しかしデーターベースが違えども、それを使うのは人間です。人間である限り二つの違ったデーターベースから、融合できる部分があるのを見つけることができるはず。融合する部分が見つかれば、より良い治療が提供できるはずそんな可能性を信じて入社した長岐です。
こんな感じで、東洋医学について語っていけたらな・・・と思っています。
話は違いますが、ごしょづか整骨院では「交通事故」でのお怪我の治療もお手伝いさせていただいてます。お気軽にご相談ください!!
ここまで読んでくださった方がいらしたら、ありがとうございます
投稿者 笑顔道整骨院