とくやま整骨院
2012年12月13日 木曜日
ストーブ
おはようございます!
本日も朝から寒いです!
ここ笑顔道とくやま整骨院は
院内が冷え込むため、ストーブを
出しました!(^-^ゞ
少しでも患者さまに暖まっていただけたら嬉しいです!\(^o^)/

口コミでおすすめの整骨院
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投稿者 笑顔道整骨院 | 記事URL
2012年12月12日 水曜日
難事にするのは、いつもあなたです!
葉隠に、こんな教えがあります。
_______
「水増せば船高し」といふことあり。器量者又は我が得方の事は、むつかしき事に出会ふほど、一段すすむ心になるなり。迷惑がるとは、いかい違ひぞとなり。
_______
意味は、
「水増せば船高し」ということわざがある。
つまり、難事にさいしてその人の能力はきわ立つというものである。
才徳のある人や、自分の得意のことは、むずかしいことに出会うほど、いっそう張りきるものである。
迷惑がるのとでは、たいへんな違いであるということだ。
_______
自分の得意な教科だと、難しい問題が出ても張りきって解いたり、
好きなスポーツだと気合いが入ったりします。
そんなとき、上手く行かなかったからといって、やる気をなくすというよりむしろ、情熱的になってしまうものです♪
迷惑がるより、張りきったほうがいいですね♪
「強さは、勝つことから生まれるのではない。
強さを鍛えてくれるのは、苦労なんだ。
困難にめげず、あきらめないと決心する、それが強さなんだ」
by アーノルド・シュワルツェネッガー(アメリカの俳優、政治家)

投稿者 笑顔道整骨院 | 記事URL
2012年12月12日 水曜日
とくやまの今後を想う!
『不易流行』
不易(ふえき)とは、
変わらない
ということである。
時代がいくら変わっても不変なものがある。
また変えてはならないものがある、ということである。
流行とは、
時と共に移り変わっていくもの、
また変えていかなければならないもののことである。
以前、こういう話を聞いた。
ある人が地方都市に旅行し、
市役所の人に古くからある神社を案内してもらった。
その神社は五十年前に修復を行い、
百の会社が協賛、寄付をしてくれた。
さて、五十年経った今、
そのうち何社が残っていると思われますか?
と市役所の人に質問された。
残ったのは、
たった1社である。
それも業態を変えて、残ったのである。
では、百年後に生き残れるのはどのくらいか。
千社のうち、二、三社が定説である。
企業という生命体を維持発展させていくことが
いかに難しいかをこの数字は示している。
その中で何百年にもわたって存続発展している所がある。
日本には二百年以上続いている会社が三千社ある。
韓国はゼロ、中国は九社だという。
何百年も続く老舗を観察すると、
共通のものがあるように思える。
一つは、
創業の理念を大事にしていること。
その時代、時代のトップが
常に創業の理念に命を吹き込み、
その理念を核に、時代の変化を先取りしている。
二つは
情熱 である。
永続企業は社長から社員の末端までが
目標に向け、情熱を共有している。
三つは
謙虚。
慢心、傲慢こそ、
企業の発展の妨げになることを熟知し、
きつく戒めている。
四つは、
誠実。
誠のない企業が発展した験(ためし)はない。
いずれも、
『不易』
の基をなすものである。
その不易を遵守していくところに、
生命の維持発展がある。
最後に、
人を人たらしめる不易を紹介する。
幕末の志士、真木和泉(まきいずみ)の言葉である。
「人と生まれては、
高きも賤(いや)しきも、
せねばならぬものは学問なり。
学問せねば、
わが身に生まれつきたる善あることもえしらず、
まして他の人の徳あるもなきも辨(わきま)へず。
いたづらに五穀を食ひて、
前向きてあゆむばかりのわざにては、
犬猫といはんも同じことなり」
〜〜〜
老舗に共通する4つのこと。
理念、情熱、謙虚、誠実。
「自分株式会社」にもとっても大切だなって思います。
あなたの人生にとって、
心から情熱が湧き上がってくる
あなたにしかない想いってなに?

投稿者 笑顔道整骨院 | 記事URL
2012年12月12日 水曜日
夢七カ条
「夢七ヵ条」
一、強く思う事を夢とする
一、思い浮かべる時、心が温かくなるような事を夢とする
一、夢に日付を入れる
一、夢へのプロセスの中で、反省と計画修正を繰り返す
一、強くイメージし続ける
一、絶対にあきらめない
一、運をよくする
_______
「夢のスイッチ」
渡邉美樹 著
あさ出版より
http://amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4860633636/andkei-22/
_______
このそれぞれに、解説があるのですが、
最後の「運をよくする」の解説だけご紹介いたします。
_______
実はこの七ヵ条の中でいちばん大事なのが、この「運」です。
ワタミグループは本当に運のいい会社だと思います。
そうでなければ、このようなカタチでここまでやってくることはできなかったでしょう。
運をよくするために何をすればいいか。
それは、「ここに神様がいる」と思うことです。
周りに誰も居なくても、神様はそこにいて、きみを見て、応援しています。
ただ神様とはいえ、誰も見ていないからといって怠ける人より、疲れていてもがんばっている人を応援したいと思うもの。
だから、神様に応援してもらえるようがんばってください。
そうすれば、自然と運もよくなるというわけです。
_______
運がいい人というのは、
誰も見ていない時、誰も評価してくれないかもしれない時でもがんばることが出来る人ですね♪

投稿者 笑顔道整骨院 | 記事URL
2012年11月29日 木曜日
親父の手作り
感動のお話を教えて頂きました。
お時間のある時にどうぞ。
_______
小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、
また母親が突然いなくなった寂しさもあいまって俺は飯のたびに癇癪おこして大泣きしたりわめいたり、
ひどい時には焦げた卵焼きを親父に向けて投げつけたりなんてこともあった。
翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずに友達にちょっとずつわけてもらったおかずと持っていったお菓子のみで腹を満たした。
弁当の中身は道に捨ててしまった。
家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、
親父は俺が全部食べたんだと思い涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、
「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。
俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。
でもその後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていたことを親父に言ったわけ。
親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。
さすがに罪悪感を覚えた俺は気まずさもあってその夜、早々に布団にもぐりこんだ。
でもなかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父のところに戻ろうとした。
流しのところの電気がついてたので皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、親父が読みすぎたせいかボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく、自分がとんでもないことをしたんだってことを自覚した。
でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。
翌朝、弁当のことや今までのことを謝った俺の頭を親父はまたぐりぐりと撫でてくれて、俺はそれ以来親父の作った飯を残すことは無くなった。
親父は去年死んだ。
病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」
とか何とか言った俺に対し、親父はもう声も出せない状態だったものの微かに笑いつつ頷いてくれた。
弁当のこととか色々、思い出すたび切なくて申し訳なくて泣きたくなる。
_______
感動するお話をありがとうございます。
自分のことばかりを考えている時は、見えないものです。
相手の立場や気持ちになろうとすればするほど、感謝が溢れてきますね♪
今日の話が、皆様のお役に立てれば幸いですm(_ _)m
お時間のある時にどうぞ。
_______
小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、
また母親が突然いなくなった寂しさもあいまって俺は飯のたびに癇癪おこして大泣きしたりわめいたり、
ひどい時には焦げた卵焼きを親父に向けて投げつけたりなんてこともあった。
翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずに友達にちょっとずつわけてもらったおかずと持っていったお菓子のみで腹を満たした。
弁当の中身は道に捨ててしまった。
家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、
親父は俺が全部食べたんだと思い涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、
「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。
俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。
でもその後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていたことを親父に言ったわけ。
親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。
さすがに罪悪感を覚えた俺は気まずさもあってその夜、早々に布団にもぐりこんだ。
でもなかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父のところに戻ろうとした。
流しのところの電気がついてたので皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、親父が読みすぎたせいかボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく、自分がとんでもないことをしたんだってことを自覚した。
でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。
翌朝、弁当のことや今までのことを謝った俺の頭を親父はまたぐりぐりと撫でてくれて、俺はそれ以来親父の作った飯を残すことは無くなった。
親父は去年死んだ。
病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」
とか何とか言った俺に対し、親父はもう声も出せない状態だったものの微かに笑いつつ頷いてくれた。
弁当のこととか色々、思い出すたび切なくて申し訳なくて泣きたくなる。
_______
感動するお話をありがとうございます。
自分のことばかりを考えている時は、見えないものです。
相手の立場や気持ちになろうとすればするほど、感謝が溢れてきますね♪
今日の話が、皆様のお役に立てれば幸いですm(_ _)m

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